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2005-12-22 / カテゴリ分けでは世界を認識できない。物理的な制約を超えて意味づけを実現する Folksonomy:Goodpic

http://www.goodpic.com/mt/archives2/2005/06/tagging.html

図書館における本のカテゴライズは、本棚のスペースによって決まっている。

例えば、図書館の案内図で、「日本文学」、「ヨーロッパ文学」、
「アジア・中近東・アフリカ文学」というような三つの棚が並んでいるケース。
ここで、日本文学とヨーロッパ文学が、カテゴリ的に並列されているのは、
単純にここが日本なので、日本文学の蔵書が多いから。意味的には、日本文学と
フランス文学という形で並列されるべき構造が、本棚のスペース(陳列できる数)
によって違うレベルのカテゴリが並列化されている。さらに言えば
「アジア・中近東・アフリカ文学」というような意味があるのかないのか不明な
カテゴリ分けにもなりかねない。


これって,各本棚にどんな本が入っているかの説明じゃないの?
「ヨーロッパ文学」の棚に「フランス文学」や「ドイツ文学」のレベルで
分類されていれば何の問題もないと思う.

「ヨーロッパ文学」ではなく「フランス文学・ドイツ文学・……」と
並記していたら問題ない?

この物理的制約によるカテゴライズは、Yahoo!などのディレクトリサービ
スでも同じこと。一つのカテゴリにあまりにもリンクの数が増えてしまうと、
見た目に分かりづらくなってくる。そのために数の多いカテゴリは
サブカテゴリに細分化され、さらにレベルの異なるカテゴリが並列で
表示されるので、最終的には無秩序な階層構造になってしまう。
物理的制約って,国ごとに本棚が用意できなくて,異なるレベルのカテゴリが
並んでしまうことが問題なんだよね?
それなら各国毎のページを作ればいいんじゃないの?

話はさらに広がって、カテゴリ分けを、みんなが信用してきたのは、政府が
法規制上、○○は□□に属する、と決めてきたのを、盲目的に信用してきた
だけではないかと。
例えば「西ドイツ」というカテゴリはわずか50年で意味が無くなってしまった。
ベルリンという街は何百年もそこにあるのに。そのときに第一カテゴリが「国」で、
その下に「地方」、さらに下に「街」というカテゴリ構造に意味はあるのか?。
上位とされている「国」というカテゴリは、実は存在の堅牢さという点では、
下位の「街」というカテゴリに遥かに及ばないのではないか?
"国/地方/街"という階層構造は分類によって生じたものではなく,
発展的(?)に生じたものじゃないかと思う
(トップダウンかボトムアップかの違い).

分類はある項目が下位カテゴリに移ることはあっても,
上位カテゴリに移ることはないと思う.
"国/地方/街"という階層構造では,地方が独立して国になるという,
上位カテゴリへの移動が起きえるということからも,分類による
カテゴリ階層とは別物と考えたほうがよさげ.

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